2009年5月15日金曜日

5/15 Today 高坂正堯が死んだ(1996)

高坂正堯 - Wikipedia: "高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年5月8日 - 1996年5月15日)は日本の国際政治学者、法学博士、元京都大学法学部教授。現実主義の論客としてもよく知られた。専門は、国際政治学、ヨーロッパ外交史。

「近代の超克」を唱えた鳥取県出身の哲学者・高坂正顕の次男として京都市に生まれる。大学では国際法学者の田岡良一や政治学者の猪木正道に師事。なお、猪木は「高坂は僕が教えた中では、ピカイチの天才だった」と絶賛している。

肝臓癌のため62歳で死去。その死にあたっては、一大学教授としては異例な数の追悼企画が様々な雑誌で設けられた。また、没後には戦後の言論・現実政治の双方に与えた影響から、高坂自身を対象とする研究も現れつつある。"
常に易しい言葉で話をした。本当にエライ人は難解な言葉は使わないのである。特に国際政治とは、そういう感覚で考えた方が実態がよく分かる。

高坂正堯の著作集が出たとき申し込んだのだが、今見るとなぜか一部欠本がある。古本屋でのばら売りでは法外な値段が付けられているので手が出ない。




前原誠司も高坂正堯の学生だった。高坂の前原へのアドバイスがケッサク。まるで身も蓋もないアドバイスみたいだが、物事の本質とはこういうものなのである:

高坂正堯 - Wikipedia: "京都大学での門下生には中西寛、坂元一哉、戸部良一、田所昌幸、佐古丞、岩間陽子、益田実、中西輝政などがおり、多くの研究者を育成した面でも名高い。また、衆議院議員で元民主党代表の前原誠司も、高坂のゼミナリステンである。前原が高坂正堯ゼミ在籍時に、外交官になるか学者として大学に残ろうか迷っていた際、「外交官は京大出身では偉くなれないし、母子家庭なのでどうか」「学者は天才じゃないといかんが、それほど頭はよくない」「大学院に行くつもりで松下政経塾に行ってこい」とのアドバイスを行い、東京都議会議員であり、のちに日本新党へともに参画する松下政経塾生の山田宏を紹介して、政治家としての道を志すことを決意させた。"

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